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天気予報も50年で解ったのが、いま程度のレベル。

◆視点をかえ、地震の前には? 中国の宏観予知の歴史は数千年◆

【藤原咲平】空を見上げよう
私を導いたのは物理学の原理でした。・・・正確な旧及び新物理学の基礎に立って、因果的に、又経済学的に、更にまた統計的に考へる
立場から実際の諸現象を見渡せば、其れが自然現象であれ、社会現象であれ、人生問題であれ、実に汲みし尽くし得ぬ興味が起ります。
まったく人間界の美醜善悪を離れて大自然の真(まこと)の「真(しん)」の中に美をも感得し得ると思います。
「私の人生観」(『生の悩み』より)
天気予報のはずれが多くて「腹を切れ」なんて物騒な脅迫も受けた時代でした。先生は、身体・精神を健全にすること、心を動かさぬこと
など何項目もの「予報者の心掛け」を書かれていますが、今でも十分通用するものです。
藤原> 長野県の学力低下が問題になるけれど、だからっていくらいろんな知識を詰め込んでもだめってことなんです。独創力というものは
湧いてきません。藤原咲平が非常に独創的な科学者だったというのは、幼少のころ、上諏訪から1里も入った小さな集落に住んで、野山を走
り回ったり遊んだりして自然と親しんだことが相当大きいんじゃないかと思いますね。人との出会い方ひとつでも、人生意気に感ずるとか、
感動する力が爆発的に強いような、そういうスケールの大きさを感じます。
**************咲平が没しておよそ半世紀、雲は変わりましたか。*******************
山下 あなたも雲をしばらく見ててごらんなさい。そこには何とも言えないものがありますよ。 朝夕雲を眺め、その細かい行動に注意して居
れば、不規則と見えた雲にも整然たるものがあり、無意味であるかの如き所に意義を発見する。遂には雲のささやきを聞き得る様な心境にも
達する。「自然研究の楽しみ」(雑誌「天気と気象」巻頭言)

1884〜1950 諏訪郡上諏訪村(現諏訪市)生まれ。
東京帝国大学を卒業.
中央気象台長
「お天気博士」と呼ばれた。
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